2025年12月17日
今月は「
音楽室」へ「雨の日」を追加することができた。これまでに登録してきた曲にも言える事だが
この曲をチョイスした理由は他でもない、私の心情によるものだ。それはつまり私が抱いている「哀しみ」と「希望」を
表している…。まず前者の「哀しみ」とは………今はここで記したくはないな。
いや、そもそも記すべきではないことなのかもしれない。
私は、あの自分本位且つ身勝手な人間共が蔓延る場所から退いた。
あの愚かにも仰々しく誇張した偽りの愛を語り、いつまでも表面的で形だけしか見れぬ、
いつまでも上辺だけの愛しか持ち得ぬ愚者共から…。さらにはその連中を上手い具合に踊らせて利益を得ようとする、
あの魂が抜け落ちたかのようなふざけた公式を名乗る人間共から。キャラクターに自分たちが言わせたいことを
発言させ、自分たちの都合で余計な手を加え、いつまでも同じようなことを繰り返し……折角のキャラクターが
奴らの無様な操り人形と成り果てて行く様などもう見ておられん。奴らとは以前からあの場所で考えていた
中途半端な考察メモから影響を受けただろう痕跡があった上に、仕舞には今年の正月頃に発言した
ニューグレンジとアルカ、湖の三体の額にある赤い宝石とカーバンクル、赤い鎖の件を明確に意識しただろう、
アルカ遺跡にカーバンクルが登場するイベントを開催してきた。未使用データに誘き寄せられ
体験版の解析を依頼して来た者も公式関係者を名乗っていたが、所謂空中リプライというのか
度々こちらの考えを否定して馬鹿にして来て、こちらが気付いたことを察するや否、即座にその発言を消したり、
そこら辺で調べればすぐに分かるようなことを宛も自分で考えたかのように乗っ掛かりを行い、
あの考察メモを見て、自身の考察と関連性を見出したのか「超絶」だの「渾身」だのと誇張してこちらに見せびらかしてきたが
内容は言うほど大したものではなかった。あの後も度々何かに対して軽い暴言を放ったり、
否定的な意見を出したかと思えば周囲に合わせて肯定的になったり、
作品内にある矛盾に対して会社の予算が事情が等とやたらに上からの目線で物事を知り尽くしたかのように
的外れな発言を行ったりしていたが私はまだ僅かに寛容な心を持っていた。
DMのやり取りで解析プログラムとその方法の説明書を送り、作成したプログラムが実行できたかどうかの有無の
返事を待つこと一年、そいつが好んでいるというキャラクターが、本来はしないだろう表情で描かれている
イラストを見たらしく態々リツイートで反応し非難したかと思いきや、反応が無くて気まずくなったのか取り消しを行い
「まあ好きにやってください」などと発言している場面を目撃して以来、嫌気が差して私は距離を置く準備を進めた。
数か月後、直接的に接触する以前からこの者は未使用データ狙いでこちらへ徘徊している挙動を執っていた事を思い出し、
今尚、性懲りもなくこちらにやって来ているのではないかと推測し、これまでの問題を間接的且つ簡易的に述べた。
すると私とのやり取りの返信記録が殆ど削除されていた。もしこの行動が"都合が悪いから消した"というものであれば、
そいつの身勝手さがよく分かるだろう…。それ以降の行動も念のため観察していたのだが、公式の連中が作成した
サイトページの表示が崩れている様を見て態々投稿を行い「サイトを作ったことのある私としては~」などと過去に
自分が出来たことを挙げて張り合う姿勢を見せたかと思えば、そいつが使用しているブラウザに異常があることを
知るとすぐさまその投稿を削除するという、他人のミスを論い笑いものにしようとしつつ注目を浴びてその上に
立とうとするなどというくだらぬ性質と、しっかり確認せず無意味に騒ぎ立てようとする愚かな側面が滲み出ていた。
さらには好んでいるキャラクターのグッズ写真を投稿したかと思いきや反応が得られず納得しなかったのか、
人の目につく時間帯に再投稿を行うといった行動を見せた…。あの者にとってシグというキャラクターは
己の見っともない欲求を満たすための道具か何かなのか?本当にシグが好きなのか?そういった疑問が今も強く湧き上がってくる。
このような人間に限って、好んでいるものに対して「一生愛している」だの「世界で一番愛している」なぞと誇張した
偽りの愛を叫ぶのであるから甚だ気に食わぬ。愛というものを何らかの形で声高に表そうとした時点で所詮それはまやかしだ。
このような人間以外にもあるキャラクターに執着し公式の連中に文句をただひたすら述べ続け、自らの心の内で
好き勝手に歪まされたそれをいつまでも本物だと信じて止まない者や、上述の者と同様に未使用データ狙いで
徘徊して来ているのかいつも必ず未使用データに関する投稿だけに反応を示し、私が用いた言葉や表現などを
度々真似て来るが所詮は形だけでこちらの真意を解する事もなければする気も感じられず、好んでいるキャラクターに対して
「神」だの「崇拝」だのとこれまた仰々しい愛情表現をとっているだけで、そのキャラクターや作品を深く味わおうともせぬ
取るに足らぬ者も居た。そういった人間共からキャラクターを利用して利益を得ようとし、さらには私の一部を
その糧とせんと意図した忌まわしい蛻の殻の公式連中といった者共にすら付き纏われていると悟った私は
あの悪夢のような場所から行方を晦まし、現在に至る………。奴らも、あの場所にはまり込んでいる限り大したことはできまい。
偽りの愛をいつまでも語り続け、同じことを幾度も繰り返し、餓鬼の如く飲んでも食っても決して満たされることのない
虚しき心を保ち続ける哀れな宿命だ。私もあの場所に居続けていたらきっとそうなっていた事だろう。
あの場所には私が望むものも無い、待ち望む存在も居ない、私が奴らに対して行えることは何も無い…。
どうか、この私の思いが覆される日が来るのを願っているが……叶わぬ願いか?
「変化」という名の希望がまだ残されてはいるが。
・・・これが私の「哀しみ」だ。こんな過去に過ぎ去った出来事を思わず今ある時間を費やして書き記してしまうとは…
ははは、何だかくだらないな。ここまで気が病んでしまったのは人生の中で初めてでもあるが、これも経験の内というものだ。
降り注いだ「雨」はやがて自然を育む生命の源となり得るように、この「哀しみ」の雨もまた未来を育む「希望」となろう。
過去ばかりに気を取られていても時間が勿体ない、得られた経験を糧に歩み続ける他はないな。
…と、人に話すのは勿論、こうやって溜め込んでいた思いを書き出してみるというだけでも不思議とスッキリする。
自分で言うのもなんであるが今読み返すとややチグハグ且つ大して怒りの感情がこもっていない文面で
シュールさを感じてしまうな。翌年の私が読み上げたら一体どんな反応を寄越すだろう?
そろそろ日記で過去の出来事を編集し続けるというのも飽きてきたことだし、しばらくはここで日頃の趣味に関することでも
書いていくとするか。それでは早速…近頃の私のマイブームの一つとして、CDアルバムやゲームBGMをカセットテープに録音して
楽しむというものに熱が出てきている。あの暖かみのある音とノイズが何とも癖になるのだ。カセットテープ自体は
小学校の体育時間に使う準備体操用のラジカセや親が使っていたCDラジカセ、車のデッキ等で幼少の頃から馴染みがあったが、
この楽しみを覚えたのは確か小学六年辺りの…2016年頃だったか。ただひたすらにゲームBGMやCDの音源を詰め込んで
どこかノスタルジックな音を堪能していた覚えがある。あの時用いたカセットテープの殆どは七年前の掃除の際に
処分してしまったが「ピクミン」のBGMを録音したテープ等は未だに残っているな。あの後も定期的にテープの音で
聴きたくなる衝動に駆られ、リサイクルショップで状態の良さげなテープを買っては録音・再生を行っていた。
以下は四年前に入手したテープへ録音を行った『MISA CODE』収録の三曲。
本来は90分以上のテープは使用してはならないラジカセで120分のテープに記録したのがいけなかったのか、
それとも寒さで動作が鈍っているのかは不明ながら時々再生速度などが変化してしまうが細かいことは気にしない気にしない。
このアルバムは親がドライブ中に流していたユーロビート系曲集アルバムCDを回収し、久々に聴いていたら
「BANZAI」という曲が気になり始めたのが切っ掛けだ。調べてみると当時「着うた」だか「着メロ」とやらで
流行していたらしいな。今年の九月中旬に入手して以来、私は何度もこのアルバムを聴きまくっていた。
それ程までにお気に入りの一枚となった上、何より聴いていると元気が湧いてくる…。そうだ、
機会があれば、他のお気に入りのアルバム群を試曲用のカセットテープ音源を添えて「展示室」へ公開するのも悪くなさそうだ。
しかし私は音楽には全く疎いが故、アルバムの曲に対する内容よりも個人的なエピソードしか
記せそうにないのが困りものだな……。CDの小冊子に記されたエッセイをヒントにしてみるのはどうだろうか?